音楽

もしかしたら

もしかしたらの思いつき。自身を、 自身を取り巻く環境すべてを、 過去のわたしを、 目に見えないものもののなかの自身を、 俯瞰してみることができるようになればなるほど、 音楽をもまた、 ミクロな視点ばかりでなく、 大きなまとまりとして捉える その度…

三部形式②

三部形式とは オーソドックスな音楽形式のひとつで A-B-A のかたちをとっているもの。大きな作品に限らず、小さな子どもが弾くようなちょっとした作品も この形式でできていることは多いから レッスンではどのお子さんにもこの三部形式について伝えるとき…

今年も11月に

今年も11月に レッスンにいらしている方たちとの 発表演奏会をしました。終わって、特に始めて間のない方や 大きくなられてきた方、その親御さんから多く メッセージやメールを戴いて とても温められました。 ありがとうございました。音楽というものは、、…

D960

去年の今ごろは 父の病院にほぼ日参していて ピアノは弾いていませんでした。シューベルトD960のコンサートをしようと その前の年にとっていたソノリウムも キャンセルしていました。がんばるよと父が言っているのだから まだ連れていかないでと 天国のおば…

音楽は音で

きょう、レッスンで バッハの、ピカルディ終止の曲 (最後の最後に、とつぜん光が射したように 短調から長調に解決して終わるもの) を弾かれていた方が その終わりかたにとても驚いていらした。 これは、なんなんですか? なにが起こったんですか? と。そ…

木蓮の花

先週末、まんなかの子の吹奏楽の 定期演奏会に行くとき 末っ子は面倒くさそうだった。 なにか観ていたものがあったみたいで。 で、行きながら 素晴らしい出会いがあるかもよ? 音楽との、、 なんて言ってみたら もう出会ってるよ! と即答されたのでちょっと…

プロセス

曲を自分のものにしていくとき、 程度はともかく、いくぶんかであっても、 その曲になっていく、というプロセスが起こる。そして、いくぶんかであっても、 そのプロセスのさなかに湧いてしかたない 曲を弾きたいという気持ち、、 お風呂に入っていても、 早…

音と言葉のコンサート

12月1日の夜つつじヶ丘のクロロッポさんで音と言葉のコンサートがあります。昨秋のリサイタルで上演した" シューベルト「楽興の時」の断片による梨木香歩「ペンキや」"を再演します。 どうぞゆっくりたのしみにいらしてください。ピアノと朗読の音楽物語12月…

シューベルト・チクルス 2

先日のシューベルト・チクルス エリーザベト ・レオンスカヤの、 について なにか959についても と思うと彼女の無造作なくらいの 弾き方が思い出されます。ステージに出ていらして なんとなく不器用さを感じさせるお辞儀を 深々と一度したら すぐに椅子にど…

シューベルト・チクルス

先週 エリーザベト・レオンスカヤの シューベルト・チクルスを 聴いてきました。わたしが行ったのは 568, 784, 959 のソナタの日です。プロフィールに 彼女のことは「慎み深い」と 書かれているのだけれど それを 一言も発することはないコンサートのなかで …

どこまでも

子どもが夜、きょうは 好きなだけ遊んでていいよ と言ってもらった とかだいじな人が だめなところも含めてぜんぶいいよ と言ってくれた とか、、、シューベルトのD568のソナタについて 思うことは いろいろあるのだけどぜんぶをどこまでも肯定する 肯定して…

言葉のなかの音

11月26日のコンサートの演目のひとつシューベルト「楽興の時」の断片による梨木香歩「ペンキや」に寄せて書いたものから - - - - シューベルト「楽興の時」は6つの小品で成っています。 ふとしたインスピレーションから生まれたと思われる一筆書きのような…

ふしぎ

きのうの空は綺麗でした。 ピアノを弾きに行った遠くの駅で。 ピアノを弾くと のめりこんでしまって どうしてもそれだけの人、になってしまう。 わたしが、好むと好まないに関わらず いただいた人生の課題には バランスを取る という 地味で奥深いお題がある…

クララシューマン in 「友情の書簡」

クララシューマンよりブラームスへ、の手紙から。「私は美しい音楽作品を再現することに、使命を感じるのです。 (中略) ピアノ演奏は私の人格の重要な一部分なのです。 演奏は私にとって空気であり、私はそれを深く呼吸します。 一方、聴衆の前で演奏に半…