クララシューマン in 「友情の書簡」

クララシューマンよりブラームスへ、の手紙から。

「私は美しい音楽作品を再現することに、使命を感じるのです。
(中略)
ピアノ演奏は私の人格の重要な一部分なのです。
演奏は私にとって空気であり、私はそれを深く呼吸します。
一方、聴衆の前で演奏に半分の力しか出せないよりは
私は餓死したほうがずっとましだとも思います。」

ブラームスからの
「あなたの落ち着かない演奏家生活を
だんだんとおやめにならなくてはならないことを
お考えになるようにお願いいたします。
(中略)
あのような方法でお金儲けなさる必要があるのでしょうか。」

という
彼女の強行軍の演奏旅行について言及した
お手紙に対する、お返事の一部。

この本を久しぶりに開いたのは、

ブラームスが、
音でなら思うように語れるのに、
(クララへの)手紙では、言葉では
思うように語れない
と書いていたのを思い出していて、

音でなら存分に語れると言うブラームスを
いくら天才だとか
歴史の向こうの人物といっても
ひとりの不器用でもあった人間として
すごいなあ、、、、と思っていて。

なのだけれど、なぜか今回のわたしは、

以前はいやなところのたくさんある人だなあ、、と思っていた
クララシューマンの、それなりに配慮深い
ブラームスへの思いやりや
こんな、演奏家として、
じぶんの表現できる(したい)音の世界に
傾倒せずにはいられない心、
のようなものに、目が留まりました。

「演奏に半分の力しか出せないよりは
私は餓死したほうが」は
これもまた不器用で、無理があって、
柔らかさとは遠い発言だろう、、、けれど
でもこんなわたしにもそれはよくわかります。

それがなくて、どうして、
いろいろなものを放りだしてでも、人は演奏するのか。てね。


クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス「友情の書簡」(みすず書房)