柘榴、11月1日の朝
悲しみは悲しみなんだなと思う。ふだんわたしたちは、悲しくなると、ただちに、それが生まれたきっかけとなった人物に責任を転嫁できそうなときは、その人の行いがいけなかったとか、謝ってもらおうという思考に走ったりする。もちろんその人になにかを伝えたり、なにかをしてもらおうとするのはかまわない。そうしたほうがいいときもある。でも、それらをたっぷりとしたところで、悲しみをそのままからだで感じ、その一部をどこかの引き出しにしまい込んで鍵をかけたり地下に幽閉することなく、受け入れる、ことをしなくていい、ということにはならない。