きりとりせん

Let's write what we catched with kiritorisen.

rewrite



小さな、書き換えの話。


小学校1年生のとき
クラス全員がひとりひとつずつ
じぶんの鉢で朝顔を育てていました。
いまの小学生と同じように、、

担任の先生にマジックで大きく
それぞれの名前を書いてもらった
プラスチックの青い鉢が
校門を入ってすぐのテラスに
ざーっときれいに並んでいた。

双葉が出てきた、とか
それがどんな風に、が
いちいち大事件だったような気がする。
わたしだけでなく
おそらくみんなが興奮しながら
登校するたび
鉢のなかに一喜一憂していました。

ある朝
学校へ行ってみたら
まだ本葉も増えていなくて
蔓が伸びているわけでもないのに
わたしの鉢だけが
低いところで
大きな白い花を咲かせてしまっていた。

先生もみんなも
なつきちゃんが朝顔第1号だね、とか
口々に騒いで喜んでいた
のだけど
わたしは
困った気分でした。

花というのは
ちゃんと本葉が増えて
背も高くなって
それから咲くはずなのに
どうしてまだこんなに小さいうちに?

わたしだけ、ちゃんとしたステップを経ずに
咲いてしまった、、
というふうに。

それからこのことは失敗みたいな
思い出すと
窮屈な気分になる出来事として
わたしのなかに
残りました。


さて
なんの拍子か忘れたけれど
わりあい最近
このことを思い出したときに

あ! と思いついたのは

そのころは気づいていなかったけれど
わたしはもともと
植物と仲良しだから
さっと花が咲いてくれたんだ
とも思えるな
ということだった。

人があたりまえにできるようなことが
できないからではなく、、

と思ったら
そうだという気がしてきました。

そうか、あれは
わたしらしい
どちらかというと祝福に近い
できごとだったんだ。

わたしはすっかり
確信してしまいました。

以来わたしは
この出来事を思い出すと
優しい、いい気持ちになれるように
なった。


おそらく
もっとクリエイティブに
書き換えることのできる過去が
たくさんあるのだろう。

過去は変えられない
というのは
わたしたちにとって隠れ蓑でもあるし
落とし穴でもある
と思う。