たとえば
柳の木と、山吹の花が
家の前に並んでいたとして。
柳の木が枯れかかっていて
山吹がきれいに咲いていたとしたら
それを
どんなふうに見るかは
いろいろだと思う。
柳の痛みっぷりで視界がいっぱいになる。
山吹のきれいさだけに見入る。
山吹がこんなにきれいなのだから
柳がちょっとくらい傷んでいてもまあいいか、と思う。
いくら山吹がきれいでも
柳が傷んでいたら台無しだ、、などなど。
実際のところは
山吹は咲いている。
柳の木は傷んでいる。
以上、だ。
「なのだから」や
「でも」が
いろいろな解釈を生んでいる。