2122

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2021最後の日の光は
家へ帰る途中の坂道を真ん中の子とのぼりながら
みました。

いまはもう真っ暗で
2021と2022の間の、ぽかっと浮かんだ、いや沈んだ
時間のなかです。


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きのうは、その前の晩にとつぜん
そうだ、となり
映画 matrix resurrections を観てきました。
お風呂掃除を済ませて
子どもたちのお昼を作ったら
もう上映時刻が迫っていて
30分くらい走ってしまった。

でも
あ、これをキャッチしに
このタイミングで来たんだな
と思うような文句に作品のなかで出会いました。


きょうは、家族が揃うのだからと
予定をいれずに空けていたのだけど
真ん中の子が写真を撮りにいくというのに
なぜだかわたしも行ったほうがいいような気になり
一緒に出掛けたら

紆余曲折あり明治神宮にも行くことになって
神さまにご挨拶もしてこれました。

神さまにお話している間は
というより
話し始めると
向かって左側の御神木から
とても温かい光がぱあっと差し込んできた。


2021にあったことは
おそらく星々の響き合いのように
定まっていたことではないかなと
思います。

それを経験するということが
生きるということだと思う。

それをさらに盛ったり
あるいはひっくり返すようなことをしようとするのは
不毛だ。

しかしその響き合うということについて
わたしたちはいくらでも
自分を調節して
どのくらい響き合うか、自分で決めることができる。
そしてどちらを向くかも、いつも自分で決めることができる。


わたしには2020はある種の終わりの年で
2021は始まりの年でした。
2022は? わからないけれど
明るくありたいです。それは盛る明るさではなく
わたしのなかの
仄々とした、地味ではあるが、絶えることのない
温かみ、のようなものを
暖炉に手を当てるかのごとく
いつも自分に当てていたいな
というような、、


どなたにも、明るく佳いお年が来ますように。