奥の奥

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誰にも、こころの、壁とか
筋肉質で硬くなっている部分とか
とか
の内側、の内側、の
ほんの小さなスポットには
さらさらの、まったくなににも晒されてない
なににも晒されることのない
生のはちみつみたいな
それはそれは柔らかで光かがやくもの、が
あると思う。

それは柔らかさでもあるし
優しさでもあるし、、

その場所は、もう奥の奥なので
多くの人が、そんな場所がいまも
きらきらのまま手つかずであるなんてことは
知らなかったり
忘れてしまっているかもしれない。

社会のありかたは歪みを持っているし
物理的な制限は
人のゆとりを奪っているし
なにも、悪いことなんてしていなくても
そのまわりには
幾重にも壁とか殻が作られるように
なっているので。

でも、それは、あります。

じゃあ、その、柔らかさんとは
どうやったら出会えるのか?

それが問題です。。

じぶんを満たす
とか
いやなものからは距離を置く
とか
思考ではなく感情や体感にフォーカスする
とか
言うこともできる。
けれど
それだけで
たいへんなストーリーのさなかにいる人が
ほんとにそこを掘り当てられるか
と言ったらどうでしょう。
どうも理屈っぽい気もする。

これだと言うものを思いついたら
また書こうと思います。

いまのわたしは、タイミングじゃないかと
思っているのです。
しかしそれでは、タイミングを待つだけ
ということになってしまう、、

でも、ハウツー、思考ではないというのは
感じるのです。

たしかに、世間一般でいうところの
不幸のたぐいは、
日ごろの怖れを嵐のように飛ばして
それ、を見せてくれることがありますね。

ミドルクライシスみたいなものも
きっとすばらしいきっかけなのだろう。

あとは、非日常としての旅。

よい映画。

夏の終わりに、ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち、を
友達に教えてもらって、観ました。

すごくよかった。
うわっと視界が広がりました。

でも、現実がそれでカーブを切るほどかというと
やっぱり、現実のなかに起こる
自身にとってのとんでもないこと
ほど
パワーのあるものはないなと
思います。

結論を言うのなら
なんでもいいということかな。
いまが幸せなら
すばらしいし
そうでもないなら
それもすばらしいチャンス、
それは社会的により華やかで恵まれた自身に向かう
チャンス
ではなくて
ひっそりとした、しかしこれほど強い確かさはない
というほど確かな
けして損なわれないもの
と出会えるチャンス

ということでしょうか、、





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