きりとりせん

Let's write what we catched with kiritorisen.

三部形式①

3月に学校がやすみになってから
わたしにしたら
意外なことに
多くの生徒さんやお母さまから
・楽器を弾ける素晴らしさを改めて感じる
・小さいころから習ってきた賜物かなと思う
などのメッセージを
いただくようになりました。

わたしも
まるでいまのために
みなさんはこれまで習われてきたんだな、、
と感じるほど

地道な投資をこつこつとしてきた
かただけがもつ
いまを生きる財産だ
ということを感じていました。

それで
いまできることをしようと思えたかたを
できるやりかたでサポートする
ということは
割合早くから定まっていました。

緊急事態がずっと続くことはない
という意味では
いまは特別なときだけれど
これだけ怖れがひろがったあとに
なにもかもがもとどおりになる
ということもないのだろう。

だとしたら
できることをしていくことが
次へ繋がるということ
だという感覚はあります。

考えてみたら
昭和のむかし
母は、ストかなにかで来られなくなった
生徒さんと
電話でレッスンしていたことがあった。

電話でやるの・・?
と子どもながらに思っていた記憶が
あります。

オンラインのレッスンは
今週2クール目です。

大人のかたについては
これまでもオンラインのレッスンを
お受けしてきました。

が、お子さんは初めてで、、
たのしい(おもしろい)のと
いつも以上に意思の疎通へのパワーを
使うなどで
なんとも言えない「感じ」が
あります。

はりきってやるこの感じ、、この感じ、、どこか懐かしい、、
そう感じていて思い当たりました。
お教室を立ち上げたころの体感です。
あのころは
ひとこまひとこまがこんな感じだったな、、
忘れていました。

昨日だったか、
オンライン授業の始まった
大学の先生(日本薬科大学の都築先生)が
SNSに書かれているのを
読みました。

どの先生も、いつも(毎年)の要領で
授業を行えない。から
工夫して、資料などを作って
新米だったころのように必死になって
授業にのぞんでいる。
結果
大学にものすごく熱気がみなぎっている。
学生たちの満足度も高い。
生徒も、先生が必死なのを感じているのだろう。などなど。

ああやっぱりそうなんだな、、
と思いました。

大量の紙を印刷する気が失せた、とも書かれていました。
いままでは学力向上のためには
プリントが大切だと思っていた。
しかし生徒は必要なら自分でアウトする。
洗脳が溶けた、と。

いまわたしたちは
またとないプロセスのなかにいるのだな、、
と感じます。